夏の元気な花
摘んだ矢先から次から次へと咲くアオイ科の花
マロウってご存じですか?

今回の投稿は、自分の調子に向き合う、セルフヒーリング?のような内容になります。
<お伝えしておきたいこと>
医療機関ではありません。単に個人の主観や経験等を報告させていただく投稿となりますことをご了解ください

アヲナサンティーの簡潔な成り立ちのようなものはHOMEからご確認いただけるのですが、ここを訪れてくださり商品などをご覧いただいていても、運営者像が曖昧…という思いを抱かれる方が多いかもしれません。
プロフィール欄を設けていないことには2つ理由があり、その理由は読み進んでいただくことでなんとなく伝わればいいなと考えます。今回は少しだけ、アヲナサンティーのことを知ってもらえるのではないかとも思います。
ディズニーランドの、人形で表現された世界各国を船にのって眺めるこができる小さな世界というアトラクション(しばらく行ってないんですが、今もあるんですか?)のように、
本当に世界って小さかったんだって今は思い、幼少期に戻りたい気もします。
当方が子供だったからみえなかっただけで、それを造った人はすべてがみえていたんですよね。
成長につれ色々な識が入ってきて、
興味のあることを調べることで、理解できることが広がっていきます。
でも、宇宙規模で考えると青い小さな丸い玉。
信憑性の問題は別として、携帯電話一つで世界を知ることもできるので、小さいと思ってしまいます。
小さいというよりも、例えば言語がちがっても人間には大差がなく、
たんに、夢とか希望のとらえかたが変化していくのかもしれませんね。

幼少時を思い出し、
そのとき懸命に生きていた人たち、守ってくれた人たち、会えなくなってしまった方々も含めて、
今の世界のことを、あなたなら何て伝えますか?
そういえば先日、たまたま出会った小学生の男の子が大切な将来の夢を教えてくれたので嬉しかったです。
その子の大切な夢なのでaonaは内緒にしますが、すごく憧れをもっているのだろうなって思いました。
みているのはいつも輝いたきれいな大きな世界で、そんな子たちのいる場所には天使が沢山いると思います。
子供のころってわくわくしてドキドキして、希望が無限に広がっているから心が元気で笑顔も素敵なんでしょうか。

自身を癒すこと、
すべての存在するもの、それがまことのものか偽善であるかなどは関係なく、
たとえ他のために身を投じていたとしても、
すべて自身を癒していることにつながっていくのだと思っています。
ありがとうっていわれたら、こちらこそありがとうって、いいますもんね・・・
・・・簡潔に記せるような前頭葉がまったくなく申し訳ないです。
話はもどり、
このサイトは初め、個人というよりもたんなる 場所 として運営していきたいイメージで考えていましたが、
手芸という趣味をかれこれカメの速度で雲中年来(もやもやっとさせていただきます)続けておりました結果(今からが勉強なのですが)、
販売という選択肢も入れてしまいましたので、
信用性の観点からも現実的に運営者が不在というわけにはいきませんでした。
商品づくりのことにつきましてはまた別の機会にお伝えさせていただくかもしれませんが、
ただ手先の仕事が苦にならないこと、そして大きくは、人生の中で、折り合いをつけなければならなかったとき、おさめきれない気持ちを体験しなければならなかったとき、なぜかいつも、もくもくと取り組める手芸や芸術…そういう分野に助けられてきたことがあるから、自然な流れだったのかもしれません。
それでもaona-3tが場所としてのイメージで、軸を失わず保ちながら、
柔らかく継続していけるものでありたいと考えています。

植物の中には、人体に有害だったりアレルギーを引き起こしてしまったりするものもたくさん存在するのですが、中でも花は、栄養摂取や生きていくためにからだに摂り入れるというよりは、鑑賞して心身に影響を及ぼすことのほうが一般的とは思います。
詳しくないのですが、化学薬品であっても植物や自然界からの情報は源だと思います。
ただ、摂り入れてすぐに効果が出るかそうでないか、いわゆる問題箇所自体に焦点をあてるか関係先もふくめて時間をかけて巡らせるようにするのかは、状況で使い分けを選択できますよね。
それらを含めて、病院にいくことでお医者様がみてくださることは、知識のないものにははじめて本当に安心できます。
精神衛生上もこれは前提かなと思います。
ですが、けっこう人って自分のことは自分でやはりよくわかるものなのかもしれません。
aonaの場合、花などの栽培において植物が自分の心の医者として何気なく存在していてくれます。
マロウという花の特性の一部をお伝えしたいと思います。

この1年はきれいになりましたが、10年ほど、じわじわと手のトラブルに悩んできました。
もともと冬は乾燥肌気味で、子供のころは痒みなどにみまわれた時期もあるようなタイプです。
複合的な原因で引き起こされたと思いますが、数年前の一時期は経験したこのないような手荒れ具合となっていました。
手がボロボロで、色々なことに神経を使い精神的にも疲れます。
パックリ割れてそこがひりひり痛くてその炎症で痒くなったりして、もうそれはそれは悪循環。
手荒れに追い打ちをかけるのは、やはり家事です。
掃除も、調理も、何でも、毎日絶対に避けられないのは、手を水分と石鹸にさらすことです。
しかも事あるごとに洗いすぎる節があり、それが拍車をかけていたと思います。
ありとあらゆる緩和策を試み、
脱水気味に感じるときは水分補給、クリーム、病院や市販の塗り薬・・・
ビタミンとかカルシウムなど気にしたりもしました。
お医者さんはだいたいわかっておられるのでしょうか・・・
でもなんだか、あまり理由を追求したくない気もします。100%健康な人はきっといないけど、手荒れしている時点でバランスが崩れているのはわかります。多分手荒れという症状を起こすことによってどこかのひずみを調整したんじゃないのでしょうか・・・
そう思うことにし、手荒れに感謝しようかと思ったりもします。
もともとからだが敏感で反応しやすいのが原因だと思いました。また、もしかすると体の変わり目の節にたっていたのかもしれません。わからないことを考えても、もう仕方ありません。
人は植物と同じで、からだが休眠する時間と巡る時間、それが1日の流れがあり、そして1年を通しての流れもあるのだということが、自身と向き合って感じたことでした。
実際に、各内臓のデトックス時間というのがあって、不要なものを外に出そうとする体の巡り時間があるんですね。
季節の節目などに気分の高揚や外出したくないな、など客観視してみると、どうですか?
なんだか思い返せば、例えばやはり春には春の匂いとともに、自分の気分も思い浮かぶみたいな感覚ありませんか?
そうやって気持ちの面でも、巡りの変化ってありそうな気がします。
そんなふうにとらえてみると、人間も自然界の一部に組み込まれていて、植物となんら変わらない存在のように思えてきます。

その結果からも、半ばaonaは手荒れの予防に目を向けてきました。
そして、楽しいというその作業とともに自分の肌に合うものをみつけてしまいました。
それが、マロウを利用したセルフケアです。
今回、お話で埋まってしまい長くなりましたので、また第2弾として続きを投稿させていただきます。
マロウは、夏にたくさん成長しましたが、十数本のうち3本しか花がつきませんでした。
土の改良を始めてすぐ植付けたので、栄養がたりなかったのか、水分過多、またはマロウは直根性のため、まだ土が硬すぎたのかもしれません。
花期の写真を撮れずじまいになってしまい、花の咲いている様子は夏まで投稿できないのですが、
それでも次回の投稿に見合った画像を準備したいと考えますため、続きは気長にお待ちいただけるとありがたく思います。
お付き合いありがとうございました。
ご訪問いただき、ありがとうございました。
では、さようなら。あをな